「モンタージュはイメージを創作しない」

 モンタージュとは映像制作での編集のことを指しています。 映像メディアはイメージあるいはフィクションに対して、どのような力を働きかけるのか。 私の目的は上のセンテンスより「映像メディアがモンタージュを通して、イメージ(あるいはフィクション)に働きかけないことを証明する」ではありません。 私は純粋なイメージそのもの、現実の介入が全く起こっていないフィクションがあらゆるものを通して存在し得ないことが1つの事実であるということから出発しています。 モンタージュが純粋なイメージやフィクションそのものに関与しないからこそ提示できる物語を私は考えています。 「ものが創造できない」ことのモチベーションをもとにつくれうる物語は何なのかということです。

「ギャグをするためのサスペンスが場を温める」

状況に対応することがジョークだとすると状況に行動することがギャグ。ギャグするとはジョークを言うことと異なる。 ギャグは時間を持たない。ギャグは面白さの指標ではない。ユーモアではない現象である。豊かさではなくシリアスを持つ。 ギャグの発露によってギャグの背景は立ち上がらなくて良い。何にも意図されないから後続に意図できない。つまりギャグの前後に断絶がある。 平たく言えば独立している。 ギャグを流す前の空間をサスペンスと言うことにする。宙吊りという意味で、テンション(張力)があると言いたい。 ギャグとサスペンスは求めるものが異なる。ギャグは瞬間的浅はかさからの秀逸、サスペンスは持続している緊張を求める。 この2つ自体の関係性にはじんわりとした時間がある。またギャグとサスペンスが関係するにはじんわりとした時間が掛かるとも言う。 必要なのは事実でなく、要素。要素の集合はコンテンツではなくフローであれ。そしてフローを蓄積せよ。 ここでの矛盾はまずフロー自体が蓄積であること。すでに蓄積したもののその蓄積を人は把握できるのか?この前提は把握しあえるはずだ。

「フロー享受のためのフィー」

 ”対象から得る知覚を変容させる力”への興味があります。例えば2時間映画を見ていて、ふとシリアスなシーンがコミカルなシーンに見えてしまうような経験。 葬式で焼香をあげる動作がそのシリアスな場に対してコミカルにツッコミを入れているような感覚。 もう1つ例を出すと現在幾何学の分野では非ユークリッド幾何学という分野があります。 この幾何学は名前の通りユークリッドではない幾何空間を指します。それまで非常に権威的であった空間(シリアスな空間、ユークリッド幾何のこと)を一度退け(ギャグとする)、 新たに非ユークリッドを確立して行く過程は100年単位の数学者たちの成果です。 瞬発的知力ではなく、あるフロー(流れ)の中でまず過去のフローを享受し、現在の自分の仕事(ストックとする)をフローとして組み換えて行く、 これに干渉するため時間なり労力なりを掛けてフィーを支払うというのが私の1つの前提です。